ビー玉くらいの岩塩を舐め続けたら。
おはようございます。
今日も穏やかな朝を迎えています。音がしないというのは自分にとって心を落ち着けるための大切な条件だなあ、と感じます。
いつもこの位ゆったりとした暮らしが出来ればと思うのですが、忙しい時間があってこの時間の貴さを知るわけですから忙しさも必要ということなのでしょうね。
昨日の話をまた考えたいと思います。今日はもっともっと、長そうです…。笑
忙しさが必要と書いた直後に非常にアレですが、やはり僕は「忙しいのは嫌い」です。本音としては否定できません。デキる人は忙しいのを楽しむんだとかよく聞いたりしますけど僕は「すげえなあ」としか思いません。あまりに考え方の違いや距離感がありすぎて。
僕は怠惰なので忙しく動き回るのが嫌いなのですが、もっと嫌なことはケアレスミスが爆発的に増えるからなんですね。
忙しい時って少し立ち止まって考えようとすると、次から次にデッドラインが押し寄せてきて予定がメチャメチャになる。焦って早く処理しようとしたらミスが増えまくり、やり直してたらもっと時間がかかる。ありがちな負のスパイラルです。
また、僕は極度のあがり症でもあります。病院に行ったことがないので実際どうか分かりませんが、もしかしたらアスペルガーか、はたまたADHDか、そういう病気だったりするかもしれません。
特にADHDの方の症状なんかを見てると怠惰な自分の姿と重なる部分がとても多く、ホントにADHDなのでは?と思わずにはいられないです。怖いことです。
とまあ少し話はそれましたが、元来、怠惰性と極度のあがり症を持つ僕が多忙な日々を送るのがいかに「苦痛なのか」ということが問題です。
自分の内面を変えることが理想ですし最終的には目指すところですが、失敗をあまりに恐れたり少しミスすると正気を失ってしまいミスが出る自分にはハードすぎるかなと思います。
なにかに取り組む際に「失敗を恐れるな」とか「やればできる」とか「途中で諦めるな」という励ましの言葉を頂くことがあります。言った本人は応援するつもりで言ってくれるのでしょうが、僕にしてみれば脅し文句のようなものでして、
「失敗を恐れるな」→「いちいちビビってる暇なんてないからさっさとやれ」
「やればできる」→「こんな簡単なことなのになんでお前はできないんだ」
「途中で諦めるな」→「終わるまで途中で投げ出すことは許さん」
というふうに(僕が望むわけでもなく無意識に)受け取ってしまいます。不器用とかそういう領域ではなく思い込みが激しいのかも知れませんが、今までの人生であったことを経て来て、僕はこうなってしまいます。
こうした現状を僕はなんとか変えていきたいとは思うのですが、自分を鍛え上げるような過酷な環境に「エイヤッ」と飛び込んでゆく勇気はもちろんありません。心が死んでしまいます。
だからでしょうか、とりあえず「自分が今出来ることを確認しよう」と思いました。不安で仕方ない、今の自分でも確実にできそうなことは何か?と確かめたくなった。
それがまず出来ると分かれば、そのことで自分を少し肯定できるなと思ったわけです。
怠惰な僕がほぼ毎朝早い時間にブログの更新が出来ている。
怠惰な僕が早寝早起きに成功している。
これは、実は僕としては「かなりスゲーこと」だと思っています。かなり成長したな〜って思ってます。毎日規則正しく、同じことをするって大嫌いだった自分がそんなことできてるなんて、冷静に考えたら大事件です。
「自分でも確実に出来ること」をやって成功する。長い時間と回数を重ねて、なんとか自分に自信をつけてきたわけですね。
例えば、「今日は外に出て太陽の光を浴びるぞ」とか、1日に1つのそんな目標でいいと思います。太陽の光を浴びることでセロトニンの分泌が増えて眠気を解消できますしね。
なにか目的があって、そのために一つだけ出来ることを何も考えずにやる。とても美しいことだと、素晴らしいことだと思います。
普通の人からしたら「だらしない」とか「他にやることはないのか」とバカにされそうな些細なことなんです、それは分かります。
でも、当人にとってはこの「自分の意思で決定した行動を履行する」という行為がとてつもなく難しいことだと思うんです。本当に。マジです。
僕はこの取り組みの最初の日に「今日は外に出る」という目標を設定して、達成できたのが夕方の日が沈む前でした。ギリギリでクリアなのか?というよくわからない感じでしたがとりあえず良しとしました。
それからも「今日は6枚切りのパンを焼く」とか「晩飯だけは自炊でカレーを作る」「起きたら布団は半分に畳む」「昼間に換気する」とか、些細なことを1日に1つ、出来るなら何個でもこなしてみました。
「何も出来ないどうしようもない自分」にとって、そういう些細なことでも達成できたらとても嬉しいもので、少しずつ日常にハリが出てきましたね。
ハリが出てくると何かしら楽しい気分になります。楽しい気分になると、「何かやってみようかな」という元気が湧いてきます。
そうすると、「新しいこと」に取り組む意欲が出てくるわけです。もちろん取り組んだら失敗することも沢山ですが、楽しさをもってやってみると意外と心は折れないものでした。
興味を持って新しいことにチャレンジするということは、恐らくそのことに興味があって、好きでやるんだと思います。なので心が多少折れにくいのかなとも思います。
新しいことにも少しずつ触れていって、自分が成長するのを実感していくことで僕は自分が嫌いで仕方ないという状態からは脱することが出来ました。そして、自分を少し信じられるようになりました。
今では毎日、早寝早起きを繰り返して早朝から運動したりブログを更新したり出来ています。前述の通り、かなりスゲーことだと思います、大事なことなので二回言いました。笑
それも全部「出来ることからひたすらやってみた」からなんですね。文字で見るとただの体育会系みたいにも見えるんですけど、色んなことを経て振り返ってみたら結果論としてそうなった、という感覚です。
「なんでもいいから、出来ることから始めよ」という陳腐な言葉。大切なことだと今こそ理解できますし賛同もしますが、当初の僕からしたら「うっさいボケ」となること間違いなしなので、言い方を変えたいと思います。
「とりあえず自分が何かやってみようと思ったらやってみて。それまでぼーっとしてたらいいし。それと、何かやろうとしてやりづらいなとか、邪魔になる物事があればそれは排除しちゃって。自分がやりたいことをやりやすくなるようにゆっくり時間をかけて、周りの環境を整えてやればいいんだ」ということです。長ったらしいかな。笑
僕と同じような人は、最初の1歩はこれでいいと思うんですよね。
僕は最初、今日は外に出るという目標を設定しましたが、この時はお金を財布に入れてました。お金を入れておけば外に行って遊んだり美味しいもの食べたり出来るから外に行きたくなるんです。
あとは出かける時の服にとりあえず着替える、バッグやリュックを持ってとりあえず立ち上がるとか。
それか外出する時間をこの際決めなくていいとも思います。昼間、人のいるところに出るのが嫌で外に出るのが嫌だったら真夜中でもいいと思います。真夜中に最寄りのコンビニで何か買って帰るだけとか。
「あ、今日はジャンプの発売日だから読んでから買い物しよ」とか「今日は金無いし本読むだけにしとこ(もちろん立ち読み禁止のお店もありますので注意)」とかでもいいんじゃないかなと。
そうやって少しずつ「外出する方向に心と体をもっていく」ことにしました。そうしたらなんとか外には出れました。
自分が何かをやるために、そうしやすい環境を作ったり、自分の「やってみよう」という意志の力、ベクトルをなるべく弱めないように細心の注意を払ってあげる。これをすることで本当に僕は今変わってきています。
もし僕みたいに、望まない怠惰性やあがり症に悩み苦しんでいる人がこのブログを見ていたとしたら、少しでも参考になればと思います。
「僕はこうやってみたよ、そしたらこんな感じだったけどまあ悪くないですよ」って感じのブログなので、気楽に見てほしいと思います。というかほぼ日記兼雑記なんですけどね。
すごーく長くなったんですけど、今日はこんな感じです。
あと少し気になってきたんですけど、記事のタイトルなんですけどホントに適当というか、書き終えた時に浮かんだ言葉そのまま書いてて記事の内容と1ミリも関係ないことがほとんどなんですが、果たしていいのかな😅
今日の内容だったら「僕が自分の望まない怠惰と向き合ってきた方法」とか、他にもっと真面目な、内容に合わせたタイトルってあるとは思うんですけど、見て下さっている方がどう思われているのかな?とふと考えます。
実は、最近になってアクセスカウンター?があるのにやっと気付きまして。
見てたらとてもありがたいことに、こんな稚拙なブログにも少しずつアクセスが増えてきているようでした。見て下さっている方、本当にありがとうございます。
興味のある方は、記事のタイトルのことや「お前ここ誤字ってるやんけ」とか「好きなロックバンドは何ですか?」とか「最近何回くらいお肉食べました?」とかどうでもいいことでも何でも結構です。コメントなど頂けるととっても僕が喜び、踊り出したり反省したり悟りをひらきかけたりするので、よければお願いします。
長々とありがとうございました。