緩繰返す

留年&無い内定で大卒 / その後ADHD発覚 / 自分に合う働き方・暮らし模索中 / ギター弾きます / ダイエット挑戦中

スマートホンで誰がスマートになるのか。

二日前に我がandroidスマホがエラーを出して再起動を繰り返すようになった。2度の交換を経て現在に至る我がスマホは、今更に思えばとても古い型なのだと思う。中身の情報やらプログラムやらは日々更新されてゆくのであれば、そこに追いついていけないというのも納得するし、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。

 

今回の再起動はいつ始まったのかは細かく覚えていないが、突然電源が落ちて再起動した後に「systemは応答していません」といった内容のメッセージが出てきてまた再起動する、というもの。

 

スマホが使えないのでネット関連の用事はPCで済ませながら、自分でできる解決法をググってみた。お金がかかることを考えるとauショップには持っていきたくなかった。

 

スマホにはセーフモードという、メンテナンスなどで用いる特殊なモードがあるらしい。これを用いることでアプリなどの干渉を受けずに起動が可能であるから、エラーが起きた際にはこれを用いるとあったので、やってみたもののセーフモードがまずできない。

 

僕はあまり機会に詳しくないので推測だが、基本的な動作を管理するプログラムの部分がおかしくなっているようだった。なので、別の方法を探っていたところファクトリーリセットというのがあった。

 

これは文字通り工場からの出荷時の状態に戻す、リフレッシュ・リセットを施すという方法だ。バックアップは取っていたものの一抹の不安があり、少しためらっていたが「ええいままよ」の精神でやってみたところ案外うまくいった。復帰した後は最低限のアプリをマイアプリからダウンロードして様子を見ながら今に至る。ちなみにファクトリーリセットをやったのは今日のことだった。

 

 

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今回の一連の出来事。本当のことを言えば機種変更が楽だったとは思うが、いわゆる2年縛りの途中だったことや最近のスマホで気に入ったデザインがないことで踏ん切りがつかなかった。

 

僕のスマホINFOBARのa02というやつなのだが、INFOBARシリーズのデザインはなんとなくスッキリしていながらもデザインとしてカワイイとかキレイという印象もあった。赤色(ニシキゴイ とかそんな名前だったかな)を使っているがなかなか鮮やか。

 

これと同じような鮮やかな色のデザインを探すけれど、パステルカラーや無難なシルバー、ホワイト、ブラックなどが多くて気に入らない。

 

無難というニーズが存在するのは当たり前だし、いいんだけどね。でも、せっかく買うなら見た目をもっとデザインの凝ったものや目に留まるような色をもう少しそろえてほしいと思う。

 

iPhoneなんかだとケースが充実してて、お気に入りのケースを見つければそれで満足できるんだけど、androidの場合は主要モデルばかりで僕の好みの機種はなかなかいいケースがない。残念だ。

 

他人に見られる機会も多いし、妥協せずにいい機種の発売を待っていたいと思う。

来月から既卒ニート予定の僕が年金の免除申請をしに行ったら案外救われた話。

(検索で訪れる方が多そうなので、2017年3月に読みやすいよう少し修正しました)


大学卒業が決まったが学生納付特例の申請を1度もしていなかった僕が、実際に役所へ行って申請を済ませるまでの話を必要な知識と併せて書いてみたい。



「手続きが面倒」「よく分からない」「差し押さえがあるとか怖い」




など、年金のことについてはネガティブなイメージを持つ人もいると思う。僕もそういう人間の1人だった。
しかし、だからといって放置していても良いということはなく、むしろ状況は確実に、徐々に悪化していく。

「あの時ああしていれば…」と後悔しないためにも、参考にしてもらえればと思う次第だ。



卒業が決まってから身の回りの精算をしたい!と思った。
その中で年金の手続きが最優先課題として挙がっていたわけだ。

この中で僕が行ったことをざっくり書くと
 
 日本年金機構の「ねんきんダイヤル」へ電話
 ②住んでいる地域の年金事務所へ問合せ
 ③必要な書類等を集めて市役所で申請


という流れだった。ちょっと面倒そうに見えるだろうか?



◯まずは状況確認

最初に現状把握だ。

「自分がいくら未納なのか?また、どの時期まで遡って追納ができるのか?」を知るべきだ。

将来もらえる年金の額が左右されるので、払える人は払える期間の分スパっと払うのがベストだと思う。

なお、経済的に困窮している人については免除や支払いの猶予制度を利用できる場合があるので、そのあたりの詳しい話が聞ける。


住んでいる市区町村の年金事務所に問い合わせるか、国のナビダイヤルに問い合わせることで現在の支払い状況を知ることが出来る。
なお、この時基礎年金番号が必要となるので番号がわかる年金手帳などを用意しておく。

ネットで調べることも出来るが、こうした申請を処理する人たちに直接聞くのが圧倒的に分かりやすくかつ早く済むので、なるべく電話で問い合せて教えてもらうのがオススメだ。

そうして現状と、自分が受けられる申請を把握して実際の申請の準備に移ることになる。

また、年金の支払い免除・猶予制度はいくつかあるので、分かりやすいようにまとめておきたい。


【学生納付特例】

→大学生は「学生納付特例」という申請を行うことになる。

学生を対象に在学期間の年金の支払いを「免除して」くれるものだ。

基本的に、年に一度の申請が必要になるが、申請さえすれば1年間の年金保険料を支払わなくて良い。

また、学生納付特例を適用した期間については追納が可能。


【若年者納付猶予】

→20歳以上で50歳未満(だったかな?)の人が対象で、経済的困窮などから保険料の支払いが難しい場合にその支払いを一定期間「猶予して」もらえる。


【納付免除】

学生納付特例とは別で、経済的など様々な理由で保険料支払いを「免除して」くれるもの。

当人の所得(バイトの給料とか)により全額、4分の3、2分の1、4分の1のいずれかの免除が受けられる。


【!!注意!!】
学生なら若年者納付猶予の条件に当てはまると思うが、なるべく学生納付特例で免除してもらうといい。理由は免除と猶予という制度の違いにある。

両制度は

「免除」→「経済的に厳しいから、払わなくてもいいよ」
「猶予」→「経済的に厳しいから、払うの待ってあげるよ、でも絶対払えよ」

という違い。

免除は「払う必要が無い」
猶予は「今後必ず払わなければいけない」

ということなので、ここは申請の段階で気をつけておこう。


僕は今回「学生納付特例」と「若年者納付猶予」を申請するつもりだったが、結果的に学生納付特例と全額免除を申請するに至った。

僕の場合、学生納付特例と、前年の所得がかなり低かったことから若年者納付猶予ではなく全額免除の申請が可能だったので、そちらに変更した。

猶予と免除だと、免除の方が「払わずして払ったことになる」訳だから得だ。そして、これがとても重要なことだと気づいてほしい。

猶予だと後で絶対払わなければ未納扱いだが、免除ならば「払ってもいいし払わなくてもいい」という余裕が生まれる。なので精神的負担はかなり軽くなるといえるだろう。

よって、若年者納付猶予を申請する際には念のため「免除の申請は通るか?」と尋ねてみるのがよいだろう。





◯申請しにいく

申請をするには必要書類など必要なものを揃えてから行く。
必要なものが揃えば、各自の市町村にある役場へ申請に行こう。

基本的に

・印鑑
・身分証明書
・年金手帳(基礎年金番号がわかれば良いとのこと)

が必要で、学生納付特例の場合は在学期間を示す書類(在学証明書、在学期間証明書など)があればよい。


ちなみに僕は卒業式のあとに直行したが、卒業証書も在学を証明する必要書類として使うことが出来たので、既卒で学生納付特例を申請しに行く方は念のために持って行ってみてはどうだろうか。

申請の結果は、2〜3ヶ月後に郵送で送られてくるそうである。その間は保険料を支払わないように注意しよう。


僕の場合、印鑑と年金手帳、在学証明書と卒業証書を持っていった。申請書は受付においてあり、自分で書ける(僕の時は職員さんが書いてくれた)ので書いて持っていかなくても大丈夫だ。
そして若年者納付猶予を申請する予定だったが、前年度の所得が免除要件を満たす低さだったこともあり、全額免除申請を出せると教えてもらえたので全額免除で申請を終えた。正直、ラッキーだった。




まとめ

今まで自分で複雑な事務手続きを経たことのない大学生たちにとって年金の申請は少し複雑で、自分ではどうしようもない場合もあると思う。

そうした時にネットで調べるのもいいが、何より生の人間に直接尋ねることが一番だ。

何もわからない人に必要なのは、知りたいことをよく知っている相談相手だ。

なので最初の方に年金ナビダイヤルや年金事務所のことを少し書いた。

僕はその電話をしなければずっと何も出来ずにいただろう。

だが、電話越しの相談員や職員の方々はとても親切に丁寧に質問に答えてくれるし、何より「どうすべきか」を的確に教えてくれる。決して怒鳴られたり叱られたりするということは無いだろう。(というか、相談員や職員の方たちが申請しようとしてくれている人を無碍に扱うメリットなどまったくないのだ)

なので、もし年金のことを疎ましく思っている若い人がこの記事を読んでくれていたとしたら、まずは電話をしてみるという一歩をぜひとも踏み出してほしい。

実際には僕らを助けてくれる国の制度というものがあり、その中には利用することで生活が楽になったりするものも当然ある。

利用できるものは利用し、豊かな暮らしを実現する。これが大切なことだと今回の年金のことで改めて思わされた。


という訳で、年金の申請はお早めに。

僕がゲームから学んだこと。

生まれて初めてゲームに触れたのは、幼稚園の年長頃だったと思う。

兄が持っていたスーパーファミコン餓狼伝説を起動して、何も分からずに最初カーソルが合ってたテリーを選んで、ボタンを押しまくった。
ジャンプのボタンが頻度高かったのか、ジャンプ中に蹴りやパンチを繰り出すことが多かったと記憶している。

それからというもの、ニンテンドー64やPS1、2、PSPなんかを経て今に至る。

ゲームというのは娯楽だと思う。エンターテインメントだと思う。しかし、単純に、イタズラに欲望を満たしてきたものなのか?と疑問に感じる。


少年少女だった僕らは周りにあるたくさんのものを見つめながら成長していったけど、その中のゲームというのはどういう存在だっただろう。

僕は、バイブルだったと思う。感動したことも沢山あるし、今振り返ってみてもまさに今から役に立つことだってたくさん見つけられる。

例えば、RPGで学ぶことはなんだろうか。

・仲間を持つこと
→友情、愛情を知る
・ラスボスを倒すために強くなる
→村人たちのクエストをこなす
・村人のクエストをこなす
→その過程でギルや経験値を稼ぐ。また小目的としての存在
・ギルや経験値を稼ぐ
→何かを成すための手段を整え、実際に達成する

少し雑だが、要するにRPGはラスボスを倒すゲームだ。しかし、最初の村に現れたばかりの勇者にラスボスを倒す力はない。

そこで、「ラスボスを倒す」という最大最終の目標をまずは据えてみて、逆算してゆく。
最初まで戻って「レベル1の勇者でもできること」を設定し、以降は達成しやすい小目的(ここではクエストなど)を設定する。

こうして計画的に勇者たちの育成を行えるようにしてあるという訳だが、この方式は僕らの仕事とか、勉強にだって応用が効く普遍的なノウハウとして抽出できるものだ。

そういう意味で、ゲームからはたくさんの事を学べるのではないかと思っている。

そう考えると、ゲームというのは単純な快楽性に目を瞑った時、人生を豊かにする素敵な一冊の本のように思えてくる。

単にゲームに限った話ではないだろうけど、映画や小説などにも同じような視点を養うことが出来たら、その人はきっと普通の何10倍、何100倍も成長できるんだなあと。


何かを知りたい、学びたいと思うことはごく自然なことだ。そしてそれを実際に行う手段を選択するわけだが、僕らにはゲームという価値ある記憶があったんだということに、ついさっき気付かされた!というお話。

「君を肯定する。」

台風がニュースを賑わせているようだ。常軌を逸したこの台風の軌道は、偉大な存在を感じさせるような自然の脅威に思える。

もし神が本当にいるとしたら、僕たち人間はこの台風で翻弄されているように手のひらの上で踊らされるんだろうなぁ…と思う。神がいるいない、という話はまともに考えたこともなかったが、現代で人間が逆らえない大いなる自然の脅威(台風、雷、地震津波、噴火など)を見ると「いてもおかしくはないのかなぁ」なんて思ったりする。



先日借りたアドラーの本のうち、二冊ほどを読み終えた。多くの本を読みたいという気持ちと、何かを糧にしたいという気持ちを両立させるためにアドラーという内容の本を複数借りてみた。

狙いとしては重複する内容に関して流し読みが可能で、場所によっては読み飛ばすことも出来ることから多読しやすく知識の確認・追加も同時に行えるんじゃないか?と思った所にある。

実際、重複する部分は多いので「あーね、これね、うん、そうだったね」という気持ち(だいぶ軽いけど)で読めるしジワジワと頭に定着し始めている実感もある。諳んじる程に覚えたとは全く言えないが、自身の実体験になぞらえて「なるほど、なるほどだ〜」と理解はしているつもりだ。狙い通り。


アドラー心理学の内容については各所で語られているのだけど、これは自分がかつて人間関係のことで悩んだ時期に取り組んだ改善策に結構似ていると思った。

大学時代は怠惰を極めた生徒だった僕が、そんな中で一つだけ誇れることがあるとしたら、それは部活動の部長を務めていたことだ。時には100名弱の部員の上に立ち、稚拙ではあったものの運営に尽力していたこともあった。

部長生活は大変だったが、特に悩んだのがヒラ部員とのコミュニケーションだった。部長と部員という肩書きの違いがあまりに上下関係を規定し過ぎたように感じていた僕は、なんとか対等な関係を目指して色々と試行錯誤していた。

その中に「肯定」という試みがあった。

自分で言うのもなんだけど、一応部長に推される以上は部での存在感や実力はあった(らしい)ので、自分の権威を使って部員を評価することから始めてみた。

単に適当に軽く褒めたり、あることないことをヨイショするのは不信感を抱かせ、かえって自分の信頼を失うことになるだろうとは思っていたので、まずは彼らが実際に持っている「良いところ」を見つけて、それを「肯定」することにした。

例えば部員Aくんは、こんな子だった。


・仲間とのコミュニケーションが良好
→本番でも息の合った連携プレイ
・部活動を心から楽しんでいる
→モチベーション維持、増大
・他部員の動きを見て先回りして動く
→部活動の効率的な運営に寄与


などなど。場合によっては短所と捉えられることもあるが、今は置いておく。
一つ一つ見ていけば細かなことと重要なことが混在しているものの、ほぼ全ての部員に関して「イイトコ」を見つけられた。この部分について評価し、イイトコは積極的に伸ばしてもらった。

一方で「ワルイトコ」の存在も否定できない。それは、ある程度彼らに対してハードルを上げていく中で目に付くようになった点であったり、イイトコの裏返しとしてのものだった。要するに求める基準に対しての能力不足であるとか経験不足。
こういうものは能力不足だから、経験不足だから、と叱ってみたり注意するものなのか?と疑問に思っていたこともあって基本的には建設的に、共同で「どうすればいいか?」を考えていくスタンスだった。

もし叱る場合、能力不足だと「お前は下手クソだ!練習しやがれ!」だし、経験不足なら「そんなことも知らないのか!もっと周りを見て技を盗め!自分に置き換えて考えろ!」とか正論と併せて説教かますことになるのかもしれない。
だけど僕はそれをされるとやる気がなくなるので、それよりは冷静に分析して短所を潰していくほうがお互い気持ちよく次の手順に入れると思っていたし、今でもそうだ。


こうした取組みはアドラー心理学の内容に結構似ていたようで、実際に「勇気づけ」などといった言葉で説明がなされている。つまり、僕は知らない内にアドラー心理学の要素を取り入れた部活動運営をしていた…?のかなと思う。

もちろんアドラーとは違う部分や、アドラー心理学を読んで「なるほど、こうしてみれば確かに良かったかもしれない」と感心する部分もあった。アドラーのすべてが正しいと鵜呑みにするつもりはないが、学ぶ点は実に多いと感じている。

氏の本を読み出して、ネットでも少し調べたりしたのだがどうやらアドラー心理学は「自己啓発の源流」と呼ばれているらしい。つまり、僕が今まで読んできた自己啓発系の本のルーツはもしかするとここにあったのかもしれない。

そう考えれば、多くの人がアドラーの名前を知らずにアドラー心理学の内容を実践していたりするのも普通に考えられるし、自分自身がその中の一人だという事実にも納得できる。

自己啓発という大きな糧のルーツとしての存在に触れることになったのは驚きだが、何事についてもそのルーツを探り学ぶことがそれを理解する上で重要だと思っているので、もうすこしアドラーのことを調べていこうと思う。

帰省中。

今は諸事情で実家に帰省している。

 

帰省中の空いた時間で読んでおきたい本がいくつかある。

一つは論理学、特に野矢茂樹さんの本。

一つはアドラー心理学の本。

 

前者は友人(二人)との酒の席で出た話題で興味を持った。

友人たちはとても頭が切れるし議論も好きなのでよく語り合っていた。

僕は論理の類は苦手で感覚派だ、と煙たがっていたのだが彼らとの話で興味を持った。

論理の力を持つというのは、つまり人を納得させる力を獲得することなのだし、自分にはいい機会だと思ったので幾らか情報収集している。

 

後者は名前だけ何となく知っていたものの、内容は全くノータッチだった。

つい先日、地元の図書館で見つけたアドラー心理学を基にした本が胸を打った。

アドラー心理学は対人関係を改善するもので、今の自分にとって一番必要な知識ではないか?!と驚いた。 本の目次を読んでいるだけで、そうか…!と興奮したものだ。

 

 

これから自分は就職活動をすることで、社会に自分の価値を肯定させてゆく必要があるのだろうと思っている。そのためには自分がまず自分を肯定してあげたり、自分の思考の芯を据えて納得してゆくという基盤が必要なんだと思う。分からないなりに。

 

それで、まずは自分が納得する行為は継続し続けるとして、自分が他者にアピールする手段でPRを用いることになるだろうから、ここに説得力を持たせたい。その目的において論理的思考力だとか、対人関係における心理学というのは大きな武器になるのだろうと予想がつく。

 

帰省は9月後半ごろまで続くが、この期間中になるべく「これだ」という瞬間に出会いたい。

 

 

 

僕と速度。

「速度」が大きく求められるようになった時代になった。そういう気がする。

 

テクノロジーが何かを可能にすることは、人々を興奮させるロマンだったし、彼らの次なるロマン、希望という欲求となっていったことも言うまでもない。際限がないのだ。

 

自動車が出来たのもつかの間、鉄道や電車、新幹線、そしてリニアと人々は速度を求めていった。空が飛べるようになった後も同様である。

 

僕は、速度が上がればその分ゆっくりとお茶をしたり、音楽を聴いたり、趣味に時間を割いたり出来ると思っていた。しかし、人間は今もなお、より早く遠くへ行くことを選択し続けている。いつからか「手段」と「目的」をはき違えてしまった。

 

 

「テクノロジーの進歩が僕たちの生活にどのような豊かさを与えてくれたというのか?」

 

この議論を今するつもりはないが、要するに世の中の潮流は速いということだ。

そして僕にとってその潮流の速度はあまりに速すぎた。

 

僕は臆病だった。生来のアガリ症に加えて実際の失敗からくるトラウマや常に失敗に怯えることで生じる慢性的なストレスもあって、大学3年からの就活は散々、更には単位不足による2度の留年など、散々な時期を過ごしてきた。

 

当然「このままでは」と思う。しかし、速度が緩まるわけではないという現実には足がすくむばかりで、気づけば無為に大学生活を過ごしてしまった。今後、もうこんなに自由で創造的な恵まれた時間は今後やってこないだろうと落胆したものだ。

 

ただ、無為に過ごす日々でも「きっかけ」が全く無いわけではないと気づいた。家に引き籠って何もしない、外に出ないならばきっかけなど掴めないだろうが、他人とコミュニケーションをとる機会や、ネットで情報収集をすることで見えてくるものが幾らかあった。

 

また、かつて読んできた本の知識や文言を想起させる出来事にも出会った。

これもまた、他者とのコミュニケーションの場においてあったことだった。

 

「なるほど、あの本で著者が言いたかったこと・感覚はこれなのか。」と納得・実感(これがメチャクチャ重要だと思う)する機会に恵まれたということだ。

 

ひとつ引用しておきたい言葉がある。

 

 

「オレは『納得』したいだけだ!『納得』は全てに優先するぜッ!!でないとオレは『前』へ進めねぇッ!『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!」

(『ジョジョの奇妙な冒険SBR 第8巻 ジャイロ・ツェペリ の言葉)

 

 

個人的な感想だが、とても情熱的であり、人間の生きる力を感じる言葉だ。(ゆえに赤)

 

 

この言葉に出会った時に直感的に「ああ、俺もコレだわ」と思った。自分が臆病なのは決断に自信がないからであり、自信がないのはプロセスひとつひとつに確信を持てないまま、最終的な判断を下すとき、僕は言うまでもなくその回答に誰よりも、まず自分が100%納得していないからであると気づいたわけだ。

 

ただ、世の中の判断すべてが100%納得のゆくものであるべきとは思わない。それはきっと傲慢である。そうならない場合が往々にしてあることも認める必要がある。

(なぜなら、自分と他者によって社会が成り立っているから)

 

だとしても、僕はこの言葉の力を信じてみたいと思った。自分が納得できるよう行為してみよう、と思ったのだった。

 

「緩繰返す」というのは、察しやすいだろうが「緩く、繰り返す」ということだ。

世の中の潮流に反して(?)僕の流れるスピード、行動するスピードというのは著しく緩い、つまり遅い。これは否定できない事実なのだが、遅い代わりに自分のできる範囲で「流れてゆく」ことはできる。決して「流される」ことはないのだ。

 

緩く流れてインプットの下流へ到達したら少し考える。果たして「納得」しているか。

納得していないなら、少し時間をおいてまたインプット流域を「流れる」。

 

少し間を開けておくことがミソだと思う。その間に日常で「なるほど!」と思う場面が訪れることもよくあるのだ。

今まで読んできた無数の小説も学術書も、自分の中で本来の意味も分からぬまま眠っていたことと思う。そうしたものに繰り返し「再会」し、更なる深い理解を目指したい。

 

 

 

…というわけで、自分なりに学びたいと思ったことに関してのつぶやきのようなブログとなります。それから、趣味のことなど。趣味から学ぶ哲学というか、他人の人生観というのも奥深さがあって面白い気がしています。

 

内容が内容なので、思考する時間が必要である以上なるべく毎日、最低でも2日に1回~というような頻度では更新が難しそうです。なので気が向いたら書きます。とはいってもよほどのことがなければ週1くらいで何かしらの気づきを書くことになると思います。

 

早速、稚拙で長々とした文章で恐縮でしたが、最初はこんなもので。