重力に従って潰れるフリをしたらそんなことは無理だと言われた。
相変わらず不定期更新していますが、僕は元気です。
最近は謎の倦怠感に襲われて4日ほど家からほぼ出ない生活を送っていました。
車の免許を諦めかけていたのですが、マニュアルからATに変えることにしました。しかし教習所まで行くのがちょー面倒。しかも行ったら行ったでたぶん久しぶりすぎて色々一方的に気まずい。
まあでも行かなきゃ始まらんのだけどね…。
眼前にある難しいことに対してどういう処理をするのかは永遠のテーマというか、当たり前ながら現時点でそれを乗り越えるのは能力的に難しい。だからよく考える必要があると思う。
ただでさえADHDぽくて(まだ病院行けてない)気が移ろいやすいところがあるので、気を引き締めて取り組まないといけない。
難しいことを乗り越えるなら何かしら鍛錬が必要なのだが、重要なのは「問題を処理すること」なのを僕らは忘れがちなのだ。
ハードルという言葉がよく使われる。何かを達成する時にハードルを「飛び越える」とか言ったりする。しかし、僕らの目的はなんだ?
それを忘れてはいけない。ハードルを超えるのはなぜなのか。それは、「ハードルの向こう側に行くため」じゃないのか?
勘違いしてはいけない。ハードルを超えること、そしてそれによって自己を高めることが目的なんだったら最初からアプローチが違うだろう。
焦ってはいけない。「向こう側」に行く方法なんて他にもある。飛び越えられないなら、下の所をくぐればいい。それか、横に回ってそのまま進めばいい。そうじゃないか?
回りくどくなったが、僕はあくまで運転免許が欲しいのであって、マニュアルでなくとも良い。マニュアルだったらATも運転できるから便利なんだとか、その程度だ。
偏見なのだろうけど、マニュアル免許をとっている周りの人は「ATはつまらん」「マニュアルは面白い」「男はマニュアルだろ」と口々に言うのだ。そしてその言葉は全く僕には響いてこなかった。
僕は車を移動手段としか思ってないし、ツマランとか楽しいの境地に至ってすらいないむしろ人を殺さないか心配で仕方ない。そういうクソ下手くそ人間だっているんだ。
それに、マニュアル車は今後減っていくと言われているし、将来車を買うとしたら幅広く選べるATの方が僕はいいと思う。
あと、これは実際うちの家族がそうなんだけどマニュアル免許とAT免許の人がいると、ATの人に合わせて車を買うことが多い。AT限定の人が乗れないと日常生活に支障が出るからなのだが、これはかえってマニュアルが非効率な気がする。
以上のことから、マニュアル免許は僕には必要ないという結論に至った。マニュアルの人は技術的にも、車への愛情的にも凄いなと逆に尊敬できるくらいだ。
男に生まれて24年、それなりに機械へのロマンはあったと思うが操作は向いてないみたいだ。笑 ガンダムがこの世にあったとして、僕みたいなのは絶対操作できないだろうから邪魔にならないところで戦いを見守っている貧弱な市民でいることだろう。
一つのことに自分で答えを出すというのも楽じゃないなと感じる。車のマニュアルATでこんなに迷ったり挫折したりするとは思わなかった。
大人たちは「世の中に出たらこの程度では済まない。さらに辛いことが沢山あるぞ」と脅しにかかるのだ。 正直コイツらは馬鹿じゃないかと思う。
細かいことは書かないが、これから社会に羽ばたいていこうと頑張る若者に対して「社会に出たら辛いことばかりだ、しんどい」というのは「社会人になってもいいことは少ないし嫌なことばかりだ」と言ってるようなもので、特に親がこれを息子娘に言うのは頭がどうかしている。
「俺もしんどい思いをしたんだからお前も同じ目に遭え」という、陰惨な精神構造なのかなんなのか分からない。全くわからない。ただの陰キャじゃねーか。
そら若者は何がしたいのかわからないまま、社会人になって、内定を出してくれる会社に勤めて「やりたいことは分からないけど今の仕事は少なくともやりたいことじゃない」とかいってすぐ辞めますし、社会に絶望してニートにもなれば都合よくフリーターや派遣にもなって、終いにはそれなりの資本のある人間は海外に行ったりしますよそらそうですよ。
日本は治安が良くて飯がうまいというのは、他国と比較すればたしかにそんな気もする。でも、人々の心はあまりに縛られて冷えきってるような気もする。何でここまでして働くのか僕にはわからない。
経済大国で居続けていくことにそこまでこだわるのはまあ政治的な理由もいくつかあるんだろうしそれも納得出来る正当性、エビデンスだってあるんだろうけど、僕は本当にそういうのに疲れてしまいそうだ。その流れからどうにかドロップアウトさせてほしいものだ。ゆっくりと穏やかに音楽をして、程々に仕事をして給料をもらって、それで趣味に興じていたい。
なんでこんなに息苦しいんだこの国は。