読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

緩繰返す

僕、ADHDかも。 →  僕、ADHDなんだ。

この二週間ほどのこと。

生活 雑記

最近はすっかり更新しなくなりましたが、しぶとく生きてます。

しかし、気分はあまりよくないという具合です。というのも、最近生活がうまくいっていないからです。

 

 

帰省しているのですが、目的は両親と進路の相談をすること、歯の治療をすること、車の運転免許取得です。進路と歯医者は何とかこなしたものの、免許取得の進捗があまりに思わしくない結果になりつつあります。

 

元々、どこかの場所に決まった時間に毎日通うというのが「死ぬほどキライ」だったのですが、小中高と義務教育やその他外的な強制力のおかげでなんとか無理やり物理的に学校へ体を運んでいました。心は完全にどこか遠くだったように思います…(;´・ω・)

 

そんな人間が大学に入ると外的な強制力もない自由な生活に溺れるのは言うまでもなく、結局は以前の記事にも書いたように1年半の留年をしてしまいました。

 

 

大学生活は怠惰を極めてしまったといってもいいくらいだったので、甘えの要素も十二分に認められますし、怒られても仕方ないなともある程度は思えました。しかし今の状況は単にそれだけで語れないのかなと思います。

 

現状、車の免許が取得できず帰ることができないという中で「何とか免許取って帰りたい」と思っているにもかかわらず、車の免許を取りに行くための通学が辛すぎて、家から出たくないんです。

靴を履いて玄関を出ようとしたら心拍数が急に上がってしんどくなったりするし、吐き気が出てきて嘔吐してしまい、結局辛くなって動けずに1日を無駄にしてしまったり…と気分は急激に落ち込むばかりです。

 

MT仮免の学科はなんとかパスしたものの、技能がからっきしダメです。いつもと違うコースを走るだけでも緊張するのに試験官が難しいところを運転している最中に指示を出すのでよく聞き取れず聞き返すことはしょっちゅうで、先日落ちた時は「そもそも支持が聞こえてなかった」という練習とかそれ以前の問題でした。

おかげで踏切停止の指示が全く聞こえず一発中止でした。帰り道に、ハタチになって初めて歩きながら泣いてしまいました。辛いです。

 

 

僕は不器用なのですが、それでもそのカバーをするために練習してみたり、煮え切らない心をフルスロットルにしてある程度の頻度で教習に通ってなんとか3か月かけてここまで来ました。しかし、ここまで人と同じようにできないということを思い知らされた今、自分なりの工夫が通用してこないことにいら立ち無く、無力感だけが積み重なってくるような気分です。

 

 

とても暗いコトばかりでスミマセン、しかし自分の現状の辛さを何かしら書いて発散できればと思って書いています。

 

 

さて、こうした辛いことにはある程度昔から心当たりがありまして、あまり考えないようにしていましたがネットである程度心の病について調べていました。すると、どうやらADHDではないのか、というかねてからの疑問が割と形を成してきました。

 

 

不注意や多動性、衝動性といったものはすべて運転中の動作で当てはまってしまいます。

 

(不注意)

・教官の指示聞き漏らし

・標識の見落とし

・運転操作の手順間違い、やり忘れ

・直線でもキープレフトが維持できずふらつく

 

(多動性)

クラッチを踏んでいないときの貧乏ゆすり

・停車中のブレーキを踏む右足で貧乏ゆすり→動く

・安全確認が不安で2,3回やったりひどいと5回やる

 

(衝動性)これは主に生活の中が多いけど

・衝動買いが抑えられない

・試験官の指示が聞こえなかったことに抗議しかけたけどイライラしつつ我慢

 

 

とまあ、おそらく数えだしたらキリがないくらいまだまだありますが主にこういった具合でした。

ネットで多少かじった程度の知識で書いているので、もしかしたら厳密にはADHDと関係なかったりすることもあるかもしれません、ネット情報を踏まえた私見です。

 

 

僕は精神科って高校のころに1度行って、軽いウツか何かと診断されて2週間学校を休んだくらいでしたが、また行くことになるのかなと、少し不安です。

 

調べている中で分かりましたが、成人のADHDの診断をされているお医者さんというのはとても少ないそうですね、ですから普通の精神科に行ってももしかしたら意味がないのかもしれないし、かといってそのままにしていて疑問を抱えながらこの先何十年も生きていくというのはあまりにも辛すぎる。なので、そう遠くないうちに精神科へ通うことになるかと思います。

 

 

一般的な健常者からのイメージですが、心の病というのは甘えだったり、だらしないだけなんだという考え方があると思います。僕だって自分の大学生活は甘えによる結果だと認めざるを得ないなと思えるくらいには、ある意味よくある考え方なのだと思います。

 

しかし、今こんなに苦しい思いをしてしまっているのも甘えなのだとしたら、「甘えずにこんなにも辛い道をみんな走り抜けていったのか?!?!?!」と思わずにはいられないのです。周りの人たちが急にすごく強いっていうか、優れた人間に思えてくるんです。劣等感が尋常ではないんです。

 

だから、「早くラクになりたい」と切に願います。そのために僕は、ブログの最初の記事で書いたように「納得したいだけだ!」と言いたいのです。

 

僕がADHDなのか、はたまたアスペルガーなのか、うつなのか強迫障害なのか、つまり僕が心の病なのか。それとも、ただちょっとした不幸なことが重なって心が少し折れただけでそんなにたいしたことはないのか。それが知りたいだけなんですよ。

 

心の病なんだったら「ああ、病気だったんだ。この辛さは病気によるものなんだ、なるほどね」と納得できるだろう。

それに、たいしたことのない甘えだったとして「そうか、病気じゃないならまだ深刻ではないのかもしれないし、ちょっとポジティブになれた、よかった。その原因を取り除いてやればかなり良くなるだろう」といえるだろうし、納得するんです。

 

 

そのうち、精神科で診てもらいます。ADHDだったら、「新しい自分になった」くらいの感じで明るく新しい自分を迎え入れてあげたいと思います。