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緩繰返す

僕、ADHDかも。 →  僕、ADHDなんだ。

僕がゲームから学んだこと。

思記

生まれて初めてゲームに触れたのは、幼稚園の年長頃だったと思う。

兄が持っていたスーパーファミコン餓狼伝説を起動して、何も分からずに最初カーソルが合ってたテリーを選んで、ボタンを押しまくった。
ジャンプのボタンが頻度高かったのか、ジャンプ中に蹴りやパンチを繰り出すことが多かったと記憶している。

それからというもの、ニンテンドー64やPS1、2、PSPなんかを経て今に至る。

ゲームというのは娯楽だと思う。エンターテインメントだと思う。しかし、単純に、イタズラに欲望を満たしてきたものなのか?と疑問に感じる。


少年少女だった僕らは周りにあるたくさんのものを見つめながら成長していったけど、その中のゲームというのはどういう存在だっただろう。

僕は、バイブルだったと思う。感動したことも沢山あるし、今振り返ってみてもまさに今から役に立つことだってたくさん見つけられる。

例えば、RPGで学ぶことはなんだろうか。

・仲間を持つこと
→友情、愛情を知る
・ラスボスを倒すために強くなる
→村人たちのクエストをこなす
・村人のクエストをこなす
→その過程でギルや経験値を稼ぐ。また小目的としての存在
・ギルや経験値を稼ぐ
→何かを成すための手段を整え、実際に達成する

少し雑だが、要するにRPGはラスボスを倒すゲームだ。しかし、最初の村に現れたばかりの勇者にラスボスを倒す力はない。

そこで、「ラスボスを倒す」という最大最終の目標をまずは据えてみて、逆算してゆく。
最初まで戻って「レベル1の勇者でもできること」を設定し、以降は達成しやすい小目的(ここではクエストなど)を設定する。

こうして計画的に勇者たちの育成を行えるようにしてあるという訳だが、この方式は僕らの仕事とか、勉強にだって応用が効く普遍的なノウハウとして抽出できるものだ。

そういう意味で、ゲームからはたくさんの事を学べるのではないかと思っている。

そう考えると、ゲームというのは単純な快楽性に目を瞑った時、人生を豊かにする素敵な一冊の本のように思えてくる。

単にゲームに限った話ではないだろうけど、映画や小説などにも同じような視点を養うことが出来たら、その人はきっと普通の何10倍、何100倍も成長できるんだなあと。


何かを知りたい、学びたいと思うことはごく自然なことだ。そしてそれを実際に行う手段を選択するわけだが、僕らにはゲームという価値ある記憶があったんだということに、ついさっき気付かされた!というお話。