緩繰返す

留年&無い内定で大卒 / その後ADHD発覚 / 自分に合う働き方・暮らし模索中 / ギター弾きます / ダイエット挑戦中

1年経っている。これは一体どういうことか。

いつの日か更新することを忘れてしまい、気づけば一年経っていました。

 

 

1年間、意外とあっという間でした...。

 

大学を2留して、内定なしで逃げるように卒業して迎えたニート期。

このブログを通して自分なりに生きている中でのアレコレをまとめていましたが、少し更新のネタが見つからないまま、気づけばこれだけの期間になってしまいました。

 

 

1年間。まあ色々ありました。

これから暇を見つけてまた適当なことを書いていこうと思います。Twitterの文字数で足りないものを書いていくような気がします。

 

ちなみにまだ就職はできてません。ニートからはなんとか脱却しましたが、また少しの間ニートだと思います。

 

放置してる間にも地味にアクセスがありまして、恐らくはADHD関連で悩みを抱えている方々だと思うのですが、正直あまり役に立てる記事などは書けてなかったと思います。

みなさんの貴重なお時間を無駄にしていたらと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

僕自身、役に立てることはあまりありませんが、僕はここでなにかを書き留めていきますし、おそらく似たようなことで悩んでいると思います。

よかったら一緒にウンウン言いながら、少しずつでも穏やかに楽に、緩く健やかな生き方ができる方法考えてみませんか。

 

また更新頑張り... いや頑張りません、Twitterぽく思いつきでパッと、書きたい時に書きます。

 

良ければまた見てみてください

ADHDを克服していくLH(初心編)

どうも、最近生活乱れ気味の僕です。

 

何でなのかは色々と思い当たる節があるんですけど、一番ダメなのは自分のだらけグセがまた出始めてることかな(大事件です)。

 

 

スパスパ動けなくなってきた

最近はホント暑い。

 

外出してて、夏の暑さにやられてしまっているのかよく分かりませんけど体力の消耗がすごいんですよね。帰宅する頃にはヘトヘトで、ご飯なんかはしっかり食べるけど風呂とかハミガキが疎かになりがちです。情けないけど。

 

「実行力」とでも言うべきか、タスクをこなして行かなきゃならない1日の中で次へと手をつけるのがなんか遅いんですよね。

 

 

詳細不明の数時間

起きてご飯食べて薬飲んで少し何かやって… ここまではいいんです。問題はちょっとひと息入れる時。

 

「あーそういやグラブルのログインボーナス獲得してなかった、ログインしないと」「ああ、あっちも日付変わってるしログボ…」「そういえばあの楽器、中古とか出てないかな〜」「ああーっ、昨日ラジオ聴き逃してたっけ!聴かなきゃ!」

 

とかなんとか言ってるとすぐ朝になっちゃってて、なかなか笑えない状態…。

こうして自分でもよく覚えていない謎の、意味不明で詳細不明の数時間が1日の中に何個か完成してしまうのです。

 

 

過去の経験から対策を練る

1人のADHDとして、注意散漫とか没入してしまうとか、そのへんの特性については知ってたつもりだけど、自制できない、自律できないのは成人男性として普通に生活してくとなれば非常に大きな問題です。

 

ずっと前はこれで困ってて、一度は持ち直していたわけですからその時と同じように対策していかなきゃいけませんね。

 

過去の対策としては

 

  • メモを書いてその指示に合わせて動く
  • 時間を知らせるアラームをセット
  • 作業に集中できるように環境整備

 

などなど、やってきました。

 

 

一つめ。

メモを書くのは段取りを考える練習と実際その通り動く練習みたいなもの。

実際取り組んでみると注意散漫の特性が出てきたり、予見できない外的要因のハプニングなんかも起こったりするわけで、なかなか予定通りは進まないものです。

 

このあたりの経験から「時間に余裕を持たせてスケジュールを組む」ことだったり、「ある程度いろんな場合を想定して動く」ことや「早く済ませられることは先回りしてやる」といったことを学びました。

当たり前なんですけどね、でも自分の経験を通じて得た教訓ですから理解や納得の度合いが全然違います。

 

二つめ。

アラーム設定は、注意散漫→没入(没頭?傾倒?)というADHDの黄金スケジュールキラーコンボ対策です。

 

例えば掃除中に昔のマンガを見つけちゃってついつい読み込んでしまう…とか、当初の目的を忘れてほかのことに夢中になった時にアラームで時間を区切って作業するわけです。

「ピピピピッ」という音で「あっ!そういえば僕は今掃除中だったんだ!掃除しなきゃ。」とスイッチを切り替える練習ですね。

こうして集中が逸れたのを元の方向に戻すことで落ち着いで作業に取り組めるようになる気がします。

 

この中で 「作業をやりっぱなしにしない」とか「キリのいいところまで作業を進める」と言ったことを意識することが出来るようになったと思います。

 

3つめ。

スマホがあるとか、好きな本が近くにおいてあるとか、周りが環境音などでうるさいとか、注意がそれてしまう原因になるものはあらかじめ排除しておいた方がいいのは言うまでもないです。

 

スマホは連絡の都合など近くに置いておく必要があるので仕方ありませんが、使い方に制限を設ければ不必要に触ることも少ないはずです。

ほかに注意を逸らしてしまうようなものは、箱などにまとめてしまい込むといいように思います。ダンボール箱とかに入れて押し入れにでも入れておくと、片付けが面倒ですから僕は触らなくなりました。

 

何事でもそうかもしれませんけど、「入念な下準備、前準備」っていうのはとても大事ですね。特に、成功させたいという思いが強いことこそしっかりと準備した上で取り組むことがとても大事なんだなって、環境を整える中で思いました。

 

 

激流に身を任せよ…

昔、何だかんだ文句を言ったり、軽く鬱になったりしながらも小中高と学校に通い続けたのは自分で自分を褒めたいなと思いますけど、あれは世の中の動きが「そうなるよう出来てる」から、その流れに乗るだけという感じでしたね。

電車に乗ったら目的地の最寄り駅に勝手に向かってくれるのと同じような感じかな。

 

自分的には起きてすぐ制服を着て、課題少しやって、朝ごはん食べたらあとは自然な流れで通学に向かっていました。アレこそ完成されたルーチンなのだと思います。

そのムーブの中に何の疑問もなかった…といえば嘘になりますが、何も考えずに体だけ動かすことは出来ていたような気がします。

 

自宅の中にいる時はそうした世俗のパゥワーはほぼありませんから、別の方法(アラームとかメモ)で何とかしていく他ありませんが、外に出て活動する中ではルーチンで頭を休めつつ、必要な時だけ集中力を発揮させて難しいタスクをこなす、というふうにして行きたいですね。

 

 

とまあ偉そうに書きつつも、最近はそれが自分で出来ておらず「ぐぬぬ」なライフを過ごしていますから、改めて自省すると共に健やかな生活を取り戻していこうと思います。

 

みなさんも、緩くしなやかに、そして確実に歩んでいきましょう。

目標立てたり倒したりイロイロ

どうも、頻度は週一位がいいのかなとか勝手に感じ始めている僕です。

 

何度か記事書こうと思ったんですが、先日、僕の大好きなリンキンパークのチェスターの訃報を聞きまして、落ち込んでブログどころではありませんでした。

 

大学受験や就活など、辛い時期に励ましてくれたリンキンパークの名曲たち、そしてチェスターの厳しく激しく優しい歌声には感謝してもしきれないところがあるので、今回は悲しいことだったなと思います。残念でなりません。

R.I.P. 

 

 

 

 

 

 

マジでだらけてきてる

そんな悲しいこともあって、気力が削がれたというか、最近なんだかたるんでる気がしてなりません…

 

朝起きてコーヒーとヘルシアプロテインのんで、その後何してるのか…自分でもいまいち記憶にないくらいぼーっとしてるかスマホいじり倒してるだけになってます、多分

 

支援センターやら外出の用事がある時はキチキチとある程度動けるんですが、用事がなければひたすらゆっくりです。イカンイカン。

 

 

そういえば目標とか予定とか立ててない

少し前までは今月アレしよう、今週でコレは済ませちゃおうとか、不器用なりにメモ作ったりしてとりあえずそれを消化しちゃうような感じで毎日動いてました。

 

でも最近は謎のたるみから消極的になり、「面倒だからこのルーティンは辞める!」とか「明日やりゃいいでしょ〜」とか、ADHDに抗うための自己対策が自分自身によって破壊されてしまうという悲惨な目に遭っているというね…

 

 

逆算?見積もり?計画性?それって食べ物ですか

ADHDでの困り事は計画性を養ったり工夫で計画性を持たせることで解決可能なことがいくつかあると思うんですけど、そのために当たり前に「逆算」とか「推定」とか、そういう「見積もる」というのが大切なんですよね、きっと。

 

今はただ時間の流れのままに、思いつくままに「あ、あれやろ」「これも」「(^p^)あうあうあー!!」っていう感じで色々と破綻しています。これでは「社会復帰」なんて夢のまた夢。

 

そう、一旦の最終目的は「社会復帰」なんです。

 

そのために

 

何をしなきゃいけないか

何が足りていないか

何を今自分は持っているか、できるか

 

なんてのを常に考えて、自分に合ったペースで物事を消化していくのがむちゃくちゃ大切なはずなんですよね。

 

今は何事もやる気や気力が湧いてないので、ここいらで爆発的なモチベーションになる何かがあればいいんですけど…

 

 

高い階段より低い階段ガシガシ登る

社会復帰するなら規則正しい生活出来なきゃだし、苦手な電話も、早起きも、時間管理も出来なきゃいけない。

 

しかしながらどれもが難しいので、ひとつでも出来りゃ立派な武器になるくらいの気持ちでいます。

 

全部まとめてやるんじゃなくて細かく切り取りまくって、それを少しずつ潰してく。

一つの大きく難しい課題と捉えてそれぞれ取り組んだとしても、ゴールまでの道は漠然としてるし「何が問題デスカ状態」になると思うんです。

 

段差の高い階段は一段でかなり高く登れる反面、1歩1歩がとても辛い。

一方で段差の低い踏み場の広い階段は一段の登り方は微々たるものですが疲れにくく何段も登っていきやすいです。

 

共に百段登れば前者の方が高く登れるんですけど、逆に百段登れないとそこまではいけない。

多少時間はかかるかもしれないけど、無理なく続けていける後者の階段の方が僕には向いてるようです。

 

 

捗り感 イズ ジャスティ

それに、登る高さは違っても「登れる段数」が違いますから後者なら何段もスパスパ登れて「捗ってる感」があるのではないかと。

 

捗り感?ですかね。これすごく大事です…。

 

「ああ、俺今上手いことやれてるなぁ」って感覚があるとモチベーションが全然違います。毎日やってやろうってきになればもっと頑張れる。頑張るから成果も出てくる。

 

捗り感、うまくやれてる(回せてる)感、こういうものを自分が作り出していけるように工夫していきたいと思います。ゆるく頑張ります。

 

 

 

田舎暮らしをポジティブに捉える

どうも、さっそくネタが枯渇している疑惑の僕です。

 

「書きたい!」という気持ちと「書く」ということは、当たり前ですが全くの別物ですね。笑

記事にするほどの分量が無かったりするのでたいていメモ程度にして満足してしまいます。以前の書き方が小ネタの集合体みたいな感じだったり、グダグダと長く綴っていたのはこういうところが理由なんだろうなと思います。

 

さて、本題。

 

 

 

すっごいひきこもってるよ

先日の豪雨があった一週間ほど前あたりから、ゴミ出しや食材の買い出し、ジョギング以外で外に出ることがほとんどなくなりました。引き籠りマンになってます。

 

朝起きてラジオ体操をやり、コーヒーとヘルシアプロテイン飲み、あとの時間はブログのネタやメモを書いたりアニメ観たり動画観たり本読んだり庭の草取りしたりと、なかなかストレスフリーな生活をさせてもらっています。もちろん人生の貴重な時間を犠牲にしながら、ですけど...。

 

ただ、欲張りだなと思いつつ正直言うと「退屈」です。贅沢なんでしょうけどね。

 

退屈そしてヒマ、更に選択肢が少ない

今生活している実家の周辺は今の時代なかなか珍しく住宅地として開発が徐々に進んでいます。どうやら人口が増加傾向なのだそうです。

 

そんな町ですが発展途上ということもあり娯楽があまりにも少ないので、日々の楽しみを見つけるのに苦労しています。

 

車に乗って少し遠出すれば、大きな商業施設だったり県庁所在地の街まで行って映画を見たりショッピングなどもできるんですが、僕が求めているのは「徒歩あるいはチャリで少し行ったところ圏内」にある娯楽なんです。

 

そうした近辺にあるお店でよく利用している場所といえば、コンビニです。ぶっちゃけコンビニが下手な店より「居て楽しい(?)」という状況です。

雑誌を読めばいろんな情報が入ってきますし、あと、コンビニの商品の移り変わりとかってささやかな楽しみだったりしませんか? 今の僕の場合、かなり大きなイベントみたいな感じになっています。笑

 

 

「じゃあ遠出すりゃいいじゃん!」って話なんですけれど、僕は今ストラテラを飲んでるので車の運転がムリ、というか免許もありません。

なので公共交通機関に頼ることになるんですが、交通費がけっこう痛いです。交通費のことを毎回気にしながら遠出してまでショッピングと映画を観に街まで出かけるのか?というと、「めんどくせえしカネもねえわ」となってしまいますから結果的に家に引き籠ることが多くなるんですよね。

 

ただ、ネットサーフィンも毎日同じことばっかりしてたらどうしても飽きるし、アニメだって1週間ずつ待ちながらの視聴ですから待ってる間は退屈ですよね。

 

とまあ、どうしても環境によって選択肢が少なくなってしまうわけです。仕方ないけどね。

 

 

田舎を好きになれないのか

TVの旅番組なんかでは田舎の牧歌的な風景などを取り上げて「いいですねえ~」って宣伝しまくっているわけですけれど、あれは普段便利な土地に住んでいて、たまに田舎を訪れるから感じるのだと思います。田舎暮らしの人間にはありふれた光景ですからね。

 

アウトドアで、自分で火をおこして飯盒炊爨したり食材調理したりしますけれど、あれってそういう不便さを「楽しむ」ためのものですよね。

逆に言えば普段はそんなことしなくてもいい便利な生活をしてるけど、たまに人間の原点に返ってそういうことをやってみようっていう、そういう「遊び」なんですよね。

 

まあ、僕の田舎は薪を切って風呂や釜を焚いたりするほどではないですが、便のいい交通や前述の娯楽っていうのは無いですから比較してやはり不便です。

 

たまに訪れる人が「田舎いいなあ」というのはわかりますが、そこで生活しているひとは「不便だなあ、もっと便利にならないかなあ」って思ってることってたくさんあるんじゃないかなって思います。

 

 

じゃあ、田舎が不便で娯楽もないし退屈でつまらんわ!はやくこんな土地出ていきたい!って思っているかといえばもちろんYESです。

YESなんですけれど...ただ「もっとこの町を好きになれないか?」という気持ちもあります。

都会には都会の、田舎には田舎なりの良さがきっとあるんだろうと思っています。

 

 

アクティビティが無いなら作るしかない

田舎は田舎ゆえに自然豊かです。だからこそアウトドアなど各種レジャーをするのにうってつけのスポットがアクセスしやすい近辺に沢山あったりします。

 

僕自身アウトドアには興味があり、知識や経験はほとんどないものの近いうちに道具などをそろえてソロキャンプなどできればと考えていたりします。

まだちゃんと考えられてないですけれど、今やってるジョギングなどのスポーツなんかと絡めて登山なんかもできればいいな、なんて思ってたり。

 

こんな風に、自分のやりたいように活動を増やしていこうゼ、っていうのが僕の最近の活動の大きな理由の一つになってます。

やりたいことを考えるんじゃなくて、やりたいことをアレコレ実現するために計画を練っていくのが大切なんだなと。

そういうコトを考えてたら、なんだか退屈だった生活も少しずつワクワクする楽しい日々になりそうでちょっと元気も出てきました。このままいい流れを作っていきたいところ。

 

自分の置かれている環境を、見方ひとつで良くも悪くも捉えられるんだな、っていうことを改めて思い出しました。

 

 

灰色のティーンエイジャーだった僕

何事もポジティブに捉える心の余裕がないとダメだなあ、とは大学時代に尊敬する先生や友達から学んだ大切なことです。自分としては常に意識していたハズのことなんですけれど、この一年でいろんなことがあったからでしょうか、いつの間にか忘れてしまっていたようです。

 

田舎に暮らしているという状況はそう簡単に変えられないことなので、田舎の中で如何にして充実した生活を送ってゆくか?ということを考えるのが現実的なんでしょうね。

 

ここまで自分の中で結論を出すのに随分時間はかかっちゃったんですけれど、まあなんとか自分の納得できる形で方針が固まったのでまた少し頑張る時期だなと。

 

 

なんだか、自分の環境を呪ったり、悔んだりしてきた10代の頃のことを思い返します。

言い方がなんかオッサンみたいだな。笑

 

田舎暮らしを憂いて、遠くのキラキラとした、オシャレな都会の街を目指して受験も人並みにやって大学に入りました。

 

出会う人や価値観、文化、目に入るすべてのものがあたらしくて刺激にあふれた大学生活だったと思います。留年も1年半しちゃったり、就職も結局まともにできず実家に帰ってきてしまうことにはなったけれど、本当に大学に行ってよかったと思います。

 

あえて地元を離れて、客観的に自分の10代の頃を見つめなおす時間を得たことで、今こうして地元に帰ってきてまた同じような境遇に居て、ここまでポジティブに考えていくことが可能になったわけです。これは、自分の中でとても大きなことです。

 

周囲にあたってばっかりで自分を深く見つめることから、そして現実を受け入れることから逃げていた僕の高校までの生活は、できることなら別の人のごく普通なものと取り換えてほしいくらいの自己嫌悪のあるティーンエイジでした。

 

それなりにうまく高校生活をエンジョイした人は「青春」の色が付くんでしょうけれど、僕は「灰色」だなと。「灰色のティーンエイジャー」だったんじゃないかなと思います。

 

なんか、小説のタイトルみたいでカッコイイですね、「灰色のティーンエイジャー」。「灰色のティーンエイジ」のほうがかっこいいかな、よくわかんないや。

 

まあ、なんというか。自分で自分の成長を感じることってすごく自己尊厳に大切なことだと思いますから、今回のことで得たそういう実感を大切にしながらまた少しずつ頑張ってみようと思います。

 

 

とはいえ、ハリキリすぎるとすぐバテると思うし、まあ、緩くやっていきます。

皆さんも頑張りすぎには気を付けて、緩くやりましょうね。

ジョギングは朝か夜か?

どうも、更新頻度を無理ない範囲で上げるぞキャンペーン中の僕です。

 

ブログを本腰入れてやってみるのってどうしたらいいかよく分からなくて、暗中模索状態です。やりたいことは沢山あるんですけども。笑

 

読みやすい文章を書くとか、カデゴリ分けをしっかりやるとか、そういうことをほかの方のブログを参考にしたりしながらうまくやっていきたいです。

 

 

 

ジョギングするなら朝?夜?

ジョギングしてるよって話は以前から書いてるんですけど、四月からは夜にも走ってみてます。結構いい感じです。

 

朝にやったり夜にやったりってのはその日の都合によってバラバラですが、結果としてうまく続けられているのでいいのかなと思ってます。週に大体3~4回のペース。

 

結論を先に書くと、どっちでもよい。

適当になってるわけじゃなくて、それぞれメリットデメリットあるからね、うん、っていう話。

 

あさ

いわゆる朝活ってやつですよね。夜明け前の薄暗さと涼しさがなんとも神聖な(?)気分にさせてくれる時間帯。

朝って言っても時間によってはいろいろ違いもあるので、ここでは早朝ってことにしときます。一日の生活に支障が出ないように早くからやるということです。

 

メリット
  • 体温が上がって活発になる
  • 早起きになって捗る
  • 単純に、気持ちいい

 

寝起きは体温が低く、身体の動きが鈍いです。運動を取り入れることで血流を良くしてシッカリと体を起こしてあげるのが一日のスタートを上手く決めるのに大切ではないかと思うんです。

早起きも結果的にメリットになります。当たり前ですがジョギングに限定せずとも早起きできれば通勤通学で遅刻しにくくなるし、先回りしていろんなことできるしでなにかと捗ること間違いなし。

あとこれはとても大切なことですが、「早朝にランニングする」ということへのイメージですね。健康的だし、朝の活動って涼しくて気持ちいいですし、メンタルに少なからずポジティブ影響を与えてくれます。

 

デメリット
  • ねむい
  • 早寝早起きがほぼ必須
  • 雨の日どうすんねん問題

 

今の生活より早起きすることになるので当然めっちゃ眠いです。慣れるまで大変。書いてる僕自身、健康にいいと分かっていても睡魔には勝てないこともしばしば。まずはしっかり睡眠時間を確保することが大切です。

特に仕事をしている方は、前日に残業や飲み会で夜遅くまで起きている方が多いでしょう。そんな中頑張って早起きしていると「遅寝早起」になってしまい、仕事場で居眠りしちゃったり、その内無理がたたって体を壊しかねません。無理は禁物。

朝から雨が降っていると、ジョギングする気持ちがすぐ萎えちゃいます。こればかりはヒトがどうすることもできないので、せっかく早起きした時間をムダにしないためにも何か別のことに手を付けるといいでしょう。窓ふきやトイレ掃除など、ちょっとした掃除なんかが個人的にオススメ。

 

よる

午後8時~11時あたりのイメージでしょうか。日付変わる直前までやるとさすがにしんどい気がします。

寝る前の時間、何かしようと思いながらも日々なあなあに過ごしている場合は、夜にやるのがいいかもしれませんね。

朝と違って周囲が暗いので、蛍光タスキなどをつけて周囲の歩行者や車に配慮する必要があります。

 

メリット
  • 時間をとりやすい(気がする)
  • 身体がよく動くので朝よりグングン走れる
  • 気持ちよく寝れる

 

朝早起きするのに比べて夜は大抵起きてるので、タイミングを失う可能性は低いような気がします。早起きと夜更かし、どっちが得意ですか?と聞かれれば大抵は後者かと。

一日の活動を経て身体がある程度温まっている状態になっているのか、朝よりかなり走れる感覚があります。息が上がって走れなくなるまでが少し長いので、朝にも走っている方は特に夜の方がよく走れると感じやすくて楽しいのではないかと思います。

走った後は心地よい疲労感があるので、寝るまで少し時間をおいてあげると気持ちよく眠りに入れるように感じます。あまり遅い時間に走ってしまうとかえって神経が興奮してしまい、時間や運動の強度の塩梅はうまくつかんでいく必要がありますが。

 

デメリット
  • 仕事の都合によっては時間取るの難しい
  • 夜更かしにつながりやすい
  • ケガをしやすい

 

仕事が夜勤だったり残業が多かったりする場合は現実的ではないかもしれません。ある程度の頻度で続けていくことが大切でしょうし、たまにできる日もあるという程度だと継続して行うのは難しいでしょう。早朝や夜にこだわらず、スキマ時間に運動を取り入れる必要があるのかもしれません。

夜の時間は自分の時間に使う人も多いと思います。TVも面白いものが多かったり、いろんなことに時間を使いたくなり、そこへジョギングも加えるとなれば就寝時間が遅くなるのは当然と言えます。日によってジョギング、TVなどやることを分けられるといいですね。

 

 

続けたいなら努力するよりラクしろよ

 

朝も夜もメリットデメリットがそれぞれあり、「早起きを日課にしたいから朝にしよう」「朝はギリギリまで寝てたいから夜にしようかな」など、人によって都合のいい時間は違うと思います。

 

自分が継続して行えるよう、定期的に予定を開けやすい時間帯を把握しておいたり、走る時間や距離・ペースを自分がラクにこなせるレベルに最初は設定するなど、続けられるような工夫をしてやることがとても大切です。

 

正直、ひたむきに努力することは素敵だと思います。ただ、何も考えずにガムシャラにやるってのはちょっとどうかと思ってて。

どうせ努力するなら「ラクするための努力」しませんか? ラクして同じ結果をだせるなら絶対ラクな方が続きますって。当たり前ですけど。

 

以前の僕は早朝のジョギングが健康にいいからと、早朝にこだわって決まった時刻に決まった時間走るというようにしていました。ですが日によって予定が変わるので継続して朝だけ走るのは難しいと思いました。

 

そこで最近は、その日の都合に合わせて朝か夜かを選んで走るようになりました。

これが一番いいというつもりはないのですが、自分にとっては継続していけることが一番大事なので、あえて時間帯にこだわらないことにしました。

朝だったり夜だったりで多少バイオリズムが前後することもありますが、予定に余裕を設けてあげることで、今のところは生活に大きな支障もなくうまくやれています。

 

続けられているので体重も少しずつですがちゃんと減ってるし、結果が出てうれしいので続けられるのかなと思います。

 

前回の記事の最後となんか一緒のこと言ってますけど、やっぱり「続けなきゃ、がんばろ」と思ってやっても僕はうまくいかないと思います。(根性なしだといわれても仕方ない)

 

 「できなきゃダメ」って考えると自分追い込んじゃうし辛いから「これだったらできるからやってみよ!」っていう方向で考えられたらなと。

 

「早起きできた」「走ってはないがすこし外を散歩した」「昨日は早く寝た」っていうアナタ。その時点でえらい。えらいんですよ。間違いなく前進していますからね。

 

 

まあなんにせよ、緩くやっていきましょう。

ダイエット3か月やってみて変わったこと。

更新頻度上げていきたいです、どうも僕です。

 

以前みたいに短めの記事を一定間隔で投稿していきたいなーと思っている(だが続かない)ので、また挑戦してみます。

うまくいくまで試行錯誤しつつ何度も挑戦、ですね。がんばるます。

 

 

ダイエット3か月やってたんスよ

ダイエット自体は何度もやってましたが何度も挫折してました。三日坊主なので、色々続けられるようにゆるーく目標設定などしつつ、4月から再スタートしました。

 

内容としては王道の食事制限と適度な筋トレ、ジョギングです。詳しくは別の機会に記事書こうと思いますが、大体は以下です。

 

食事→朝にプロテイン+α、昼はふつうに食べて、夜にコメを豆腐に置き換え。

筋トレ→「キツくなったらやめる方式」。各部位5回とかそんなもん。笑

ジョギング→「キツくない速さ(LSD)である程度継続して走る(2~30分)」

 

7月現在、サボり癖も出たりしつなんだかんだ続いているので、うまくいってるんやと思います。

 

 

変わったこと

3か月も続いてたらいろいろと体の変化もあるものです。

 

筋肉ついた気がする

特に足全体と腹筋かな。依然として表面は厚い脂肪アーマーが付いてますけど、その内側に確かな固い感触を感じます。力入れてなくても固いので、実感あっていいですね。

 

筋トレ毎日やらずに、日を空けた方が超回復して成長するそうですね。ドラゴンボールサイヤ人が、戦闘で死にかけたら戦闘力あがるっていうのあるんですけどソレと一緒ですね。

 

頭がスッキリしてきた(回転するようになったとは言ってない)

たぶん食事制限、糖質制限(夕食のごはんを豆腐に置き換えするなど)の恩恵かなぁと。

 

以前は欲望の赴くまま暴飲暴食でコメ食いまくりだったので、食後の血糖値の乱高下があって眠かったり頭痛やめまいなどが多かったです。

しかし、最近は食生活を正したおかげか、そういうのは基本的になくなりました。まあ、ストラテラの副作用で眠くなることはあるけど・・・。

 

やせた

何を当たり前のこと言うてんねんドアホゥ!!! と言われそうですが、結局これが一番うれしいですよ。

 

4月当初90.7キロだったんですが、この記事を書いてる7月9日現在で83.4キロ。3か月で7キロちょっとの減量に成功しました。

もともと90キロということで太りすぎにもほどがあるだろ!って話ですが、ありがたいことに健康的なペースで面白いように今までは痩せてきました。

今後は痩せるペースも緩やかになるかもしれませんが、楽しんで根気よく続けます。

 

ちなみに痩せて変わったことといえば、ズボンのサイズが2インチ下がったことと、正座が普通にできるようになったことですかね。けっこう嬉しいもんですね。いやー、よかった。

 

 

 

継続は力なり、とか言ってると頭がおかしくなって死んじゃう

 

ダイエットを続けられたから結果が出た。

まあ当たり前のことが起こっただけなんですけれど、注目すべきことって「継続すること」じゃないんですよねたぶん。

 

僕みたいなADHDだと興味関心はすぐよそに移っちゃうし、飽き性なところもあってなかなか続きません。

だから「継続は力なり」ってのに対して、まあそうだと思うけどできねーから困ってんだろうがよォコッチはよォ(血涙) と、涙を流してきたわけで・・・。

 

継続できると経験値たまってきて手順とか覚えて「なにかと捗ってくる時期」が来て、楽しくなるとは思うんです。だけどそこまでが辛くて、頭がおかしくなって死んじゃう(リタイアしちゃう)んですよね。

 

個人的には 「継続しよう」って思って頑張ったりキツいのを我慢するのより、頑張らなくてもできるくらいの内容に留めてまずは喜び・楽しさを見出だしてやることの方が大事じゃないかと思うわけです。モチベーションの創出・維持ですね。

 

たとえば「今日も日課の筋トレ完了。腕立て2回、腹筋5回、スクワットは気分に乗って10回もやっちゃったわ~俺ってストイック(*^-^*)」とかいって筋トレに目覚めたオレサマ的な澄ました顔で自撮りをインスタに上げる、っていうのでもいいじゃないですか。笑 

そういう楽しみとか喜びってのを見つけるまでは続けなきゃいけないから、まず続けられる程度で少しの間やる。そういうことが意外と見落とされがちなのかなって。

 

 

まあ、ホント緩くゆっくりやりゃいいじゃないですか。結果として継続できてれば、1ミリずつでも確実に成長してるわけですから。無駄じゃないですよ、それって。

 

 

六月後半のこと。「支援センター、有能」「夜ランに学ぶこと」「母と意思疎通、困難」

雨が降らないなーって思ってたら台風とか大雨来ましたね。 自然災害にはお気をつけ下さい。

 

更新が少し遅れましたが、記事の書き方について少し考えてました。(あとサボりぐせが現れつつあった)まだまだ改良の余地ありなので緩くやります

 

改善の試みとして

  • ブログタイトルの変更

ADHDがメインテーマなのにタイトルに入れないのはどうかと思って。あと検索で引っ掛かればいいなと。

 

  • 記事タイトルを内容に即したものにする

→読みたい記事を探しやすくするため。

 

  • 書きたいことが沢山ある時は構成をサザエさん方式にして目次をちゃんと作る

サザエさん方式は、今日の記事みたいな小テーマの数本立てにすること。

目次は、あると気になる部分だけササッと読みやすいよな…という考えから。

 

  • 一つのテーマの記事も書いてみる

→例えば「僕がやってるジョギングのやり方」とか。いろんなテーマについて一つの記事で扱うのではなく一つのことについて書きたい時には単一のテーマで短く書くのもありだなとおもったので。

 

  • なるべく無駄な情報を省いて文を書く

→読む人への配慮。あと簡潔にわかりやすくまとめる訓練。

 

という感じで今後頑張ってみようと思いまする。

 

 

 

 

 

支援センター、有能

 

 

発達障害者支援センターに通っていて、色々助けられてます。相談員のお姉さんが有能すぎて泣けてくる…。

 

 

就労支援や家族へのADHDの説明など様々な面でサポートを頂いてますが、一番有難かったのは「簡易的な特性検査をやってくれている」ということ。

 

発達障害は得意不得意などの「特性」がありますが、これはWAIS-Ⅲなどの知能検査で普通調べられ、様々な能力を数値化して示すことで自分の特性を理解しやすいです。

しかし、検査を行っている病院は予約が取れなかったり、取れても長い間待たされることも多いようです。

 

とまあ、なかなか受けるのが億劫な知能検査なんですが、相談員の方が僕の特性について少し分析してくれています。いくつか質問をされた後、どうやら聴覚の情報処理が弱いみたい?とのこと。

 

「周りの音が気になって人の話を聞き取りにくい、耳から入る情報の処理が苦手などの特徴があるかもしれませんね」と言われましたが、ハッとしましたね。まさにその通りだと。

 

大学の頃に居酒屋バイトを始めた時、キッチンの換気扇やフライヤーの音で先輩のいうことが聞こえ辛かったり、マルチタスク苦手も相まってメモと話を聞くことの2つ並行するのは困難だったりで辛かったです。

 

こんなふうに自分の特性を理解することで過去の失敗に対して「ああ、だから失敗しちゃったんだな」というのが分かって、次に活かせます。自分では気づけない発見が沢山あり、相談員さんにはほんと頭が上がらないです。

 

発達障害の診断がない方でも相談だけでも受け付けていることがあるみたいなので、「ADHDなのかな…」と思った際は支援センターに相談してみると救われるのかも。

 

 

 

 

夜ランに学ぶ

 

以前の記事で「雨降らねえなコメ農家さん大丈夫かよ」という話をしていましたが、昨日今日は大雨。台風とか梅雨前線の影響らしいです。

 

ジョギング(LSD)は上手く継続中です。しかし最近は早朝から雨の日が多くて朝ランがなかなか達成出来ていませんでした。

夜には止んでいることが多く、代わりに夜走ることが多くなったのですがコレがなかなか楽しくて。色々発見がありました。

 

1つ目は暗いので人に自分の醜いボディを見られにくいこと。恥ずかしがり屋な僕にとって大事なこと。人目を気にせず走れるのは気持ちいいですね。

 

2つ目は体が結構動くこと。コレは一日、体を動かすことで全身がほぐれているのかな?と思いますが詳しい理由は分かりません。

けど朝より夜の方が速く長く走れる体感はあります。

 

3つ目は寝つきが良くなった(気がする)。運動したあとシャワー浴びて扇風機の前で「あ゛〜」って言ってたらすぐ眠くなります。軽く運動して心地よい疲労感を得られるのが良いんですかね。

 

夜ラン、是非お試し下さい。

 

 

 

 

母と意思疎通、困難

 

え?どゆこと?って感じですけどほんと書いた通りです。

今までなんとなく思っていたことですが、支援センターに通い始めてハッキリとしてきた形です。

僕と母親の特性とか、性格の違いの話なんですけどね。

 

僕は物事の流れとか順序、背景を理解することで物事をゆっくりと、きちんと理解するタイプのようです。

一方、母はチャキチャキしてるというか、テキパキ素早く動くタイプで物事の要旨さえある程度わかれば上手くやれる手際のよいタイプ。

 

お互いに得意・不得意があるんですけど、日常生活においてはこの違いがそのままコミュニケーションのズレに繋がってくるようです。

 

例えば母が僕に頼みごとをして、僕が引き受けた時に「ここはどうしたらいいんだろう?」と疑問が生まれた時に母親に聞いたら

 

「〇〇に決まってるでしょ!そんなことも分からないの?!」

「〇〇すればいいでしょ!(僕にはその発想が全くなかったようなこと)」

 

とか言われます。僕の手際の悪さが母をイライラさせてしまいがち。

母としては「これは言わなくてもわかる、常識だ」ということが僕にはわからない事だったりします。

言わなくていいだろう、という考えから情報を減らして伝えているのでしょうが、僕にしてみれば情報があまりに不足しているという状態なので、簡単な頼み事でも失敗してしまったりします。

 

僕としては失敗したくないから、分からないことは細かく尋ねて確認したい。でも母はそこに苛立ちを隠せないでいるみたいです。

そして、そんな様子は僕にも伝わってくるので、「イライラさせたり怒らせたりしたくないなぁ… 分からないけど聞くのはやめよう、億劫だ」という方向になり、失敗してしまいます…。

 

あとコミュニケーションについて、これは僕が勝手に思っているだけですが、母は僕の言うことは半分くらいどうでもいいと思っているんじゃないかなと。

今の僕の立場って、迷惑かけてるただのニートで、家の様々なことに関して発言権なんて本来全くないようなものですしね…。

 

また、昔からよく僕が親を困らせていたことなどもあり、僕のやることは信頼もされてないんだと思います。

だから「お前がやることなすこと上手くいくと思えない。余計なことは考えずに私の言う通りにしておきなさい!」と言っているような気がして…なんというか、やっぱり悲しいですね。

 

もちろん、母なりに僕を心配してのこうした態度なのだと思います。

でも、結局僕のいうこと全て聞き入れろとは言いませんが、話を聞いて考えてもらう余地をほとんど与えてもらえないのは、とても辛い。

こういう状況を作り出したのは僕の脳なんですけれど、やるせない気持ちになります。自分がどんどん嫌いになります。

 

なんか、自分で書いててめっちゃ暗いなぁ…。(>_<;)

 

まあ、まだまだやれることは沢山ありますから、今後も頑張って自分の話を聞いてもらえるよう努めていきます。

 

しかしもう50数年生きてきた母の考えを大きく変えることですから並大抵のことではないと。

途中で心が折れてしまったら、その時は母や父や兄、親戚みんなのことを嫌いになって、どこか遠くに逃げ出してしまうのかもしれません。

 

正直なところ、自分の中のネガティブな精神はそれでもいいんだよとか、そうなっても仕方ないと優しく語りかけてきます。強く否定出来ないんです。

最終的にそうすることが悪いとは思いませんが、今それを考えてしまうと、なんだか「もうそれでいいじゃん。疲れたよ。」ってなっちゃいそうで。

せっかく実家に帰ってきたのも、家族とやり直す最後のチャンスだと思ったからですし、そこは意地になって踏ん張ってもいいところなのかなって思います。

 

 

 

 

 

最後に

 

とまあ、最後だけ長くなりましたけど最近はこんな感じです。母とのことがあって、やや暗い気持ちになってきてるのかな。

 

やはり一緒に暮らしている家族と上手くいかなくて、怖くて、ってなるともはや「家族ってなんなんですだよ?!」って感じで茫然自失状態です。

 

辛いなー、嫌いになりそうだなーと思いますが、負の感情で得た力って、不健全で確実に自分を蝕んでいくと思います。

家族や誰かを嫌いになって、憎しみを力に変えて結果を出してもその後ぬけがらになったり、力を得続けるためにまた違う誰かを憎み続けていって…。

誰かを憎むというのは大きな力を得られますが、とてつもなく疲れることです。 その疲れがあるラインを超えた時に「もう何もかも嫌だ、死のう」ってなっちゃう気がして。怖いです。

 

ネガティブの感情からではなく、ポジティブな感情(褒める、愛する、感謝するetc……)を人から向けられて、そこから力を得ていきたいですね。

 

ゆっくり話を聞いてくれる人、「大変だったね、つらかったね」と言ってくれる人、そういう人が1人でもいたら、僕は沢山頑張れると思うんだよね。

 

同じような境遇の方がいたら、話を聞いてくれる理解者を探してもらいたいです。

 

という訳で、長々とありがとうございました。